ユースデモクラシーって何だ?【中編その一】

前の記事では、「ユースデモクラシー」とは単に若者重視の政治というだけでなく、「デモクラシーに活力がある状態」を表すという話をさせていただきました。

併せて、今の政治は「老化」していないか、「記憶力」が低下して「デモクラシー」を採用した頃の気持ちを忘れてしまったのではないか、と問題提起をしました。

中編では、私たち日本人がどういう思いで「デモクラシー」を社会に取り入れようとしたのかを振り返ってみたいと思います。

日本史が好きな人なら、デモクラシーという言葉を聞くと「自由民権運動」や「大正デモクラシー」をすぐに思い浮かべるかもしれませんが、おそらくそう多くないと思います。

国立公文書館が運営するアジア歴史資料センターでも「知っていましたか?近代日本のこんな歴史」と称して、まさか知ってるわけないよね?という前提で歴史マニア向けに(マック赤坂の高校の先輩でもある)「命のビザ」の杉原千畝と並べて書いてあるくらいです。

上記のページにもあるように、1874年(明治7年)に板垣退助らが「民撰議院設立建白書」を明治政府に提出したことに端を発し自由民権運動が始まりました。その後、1881年(明治14年)の国会開設の詔を経て、1890年(明治23年)に帝国議会が開設されることになります。

「明治維新」が日本における近代国家の起源と考えられがちですが、実は、明治維新後20年以上も日本には国会が無く、民主制の近代国家では無かったということなのです。

では、日本のデモクラシーの出発点となった「民撰議院設立建白書」の中身には何が書かれていたのでしょうか?

実は、2012年に東京茶会という草の根団体が口語訳を発表するまで、日本には読みやすい文体のものがありませんでした(現在は、自由民権塾が引き継ぎ、第二版の小冊子をこちらで購入することができます)。

かなり長いのですが、デモクラシーの原点を知る上で非常に重要な文章だと思うので、全文引用します。時間の無い方は赤字の箇所だけでも読んでいただけると良いかと思います。

民撰議院設立建白書(口語訳)

私たちが本建言を提出するに至った経緯は、常日頃の持論とし、私たちが政府の中にいた際には上申した者もおりました。

また、欧米各国へ大使を派遣し、現地の様子を調査した上で、議院を設けるべきとの御評議もありました。しかし、大使が帰国して既に数カ月がたっておりますが、何の施策も行われず、近頃の民心が落ち着かず、上下に疑念が高まり、ともすれば我が国が崩壊するかのような兆しすらあります。つまるところ、天下の輿論公議が閉塞していることを理由として、このような事態に陥ったものと残念に思っております。それ故に、今こそ御評議を実現するべきです。

現在の政治権力の帰属するところを考えてみると、皇室でもなく、国民でもなく、ただ官僚にのみ帰属しています。官僚は皇室を敬うと言っていないわけではありませんが、皇室の権威は徐々に失われています。

また、官僚は国民を保護すると言っていないわけでもありませんが、規制は隅々まで行き渡り、朝令暮改され、情実で動き、賞罰は個人的な愛憎に依存し、言論の自由はなく、苦情を訴える方法さえありません

そもそも、このような状態で、社会秩序が維持されると考えることが間違っていることは、七、八歳の子どもでもわかります。現状のまま放置すれば、おそらく我が国は崩壊してしまうでしょう。

このような状況において、私たちは国を愛する気持ちが自然と沸き起こり、この状況を救済する方法を研究したところ、天下の公議を発展させることだけが解決策であるとの結論に至りました

そして、天下の公議を発展させるには、民撰議院を開設することだけが、その手段であるのです。そして、官僚の権限を制限することによって、皇室も国民ともに安全で幸福な生活を受容できるのです。今こそ、このことについて論じさせてください。

そもそも、政府に対して納税の義務がある国民は、政府が行うことについて知ることができ、その是非を議論する権利を有しています。これは天下の通論であって、私たちがこれ以上余計なことを言うまでもありません。

それ故に、私たちは、官僚もこの大理に抵抗しないことを願っています。現在、民撰議院を設立することを拒む人々は、「我が国民は無知蒙昧で、未だ開明の域に進んでいないため、民撰議院を作るのは時期尚早でしょう」と言います。

しかし、こうした意見は真実でしょうか。国民を啓蒙し、知識を与え、開明の域に進ませようとする方法は民撰議院を開設することです。国民の正当な権利を保護し、国民に政治に対する自尊心を持たせ、天下と苦楽を共にする気風を起こす必要があります。

なぜなら、そのようにすることで、国民が天下のことに関与するようになるため、古臭い考えに安住し、無知蒙昧なままの自分に甘えるような国民はいなくなるでしょう。

しかしながら、現在は、国民が自ら学び教養を得て、おのずと開明の域に達するのを待っているだけです。これは、ほとんどありえない事を待っているようなものです。甚だしい批判者は「現在、議会を急いで作っても、天下の愚か者を集めるだけでしかない」とまでいいます。

ああ、こういった人は、どうしてこれほどまでに傲慢で、国民をばかにするような態度を取るのでしょうか。確かに、官僚の中には優れた人もいるでしょう。

でも、どうして学や教養をもっている人が、世の中のすべての人を超える人間など存在しない事を知らないのでしょうか。

それこそこのように国民を蔑視するようなことがあってはならないのです。仮に国民を蔑視して良いのならば、官僚もまた馬鹿にされる中の一人でしかなく、同じように無学で無教養な人間ということになります。

わずかな官僚による支配と人々の輿論公議が発展することと、どちらが賢い方法なのでしょうか

私たちが思うに、官僚の知識は明治維新前よりも進んでいると思います。なぜならば、人間の知識というものは、これを使えば使うほど進歩するものだからです。だからこそ、民撰議院を設立することは、とりもなおさず国民に勉強させ、教養を与え、そうして急速に開明的な域に導く方法なのです

その上、そもそも政府の仕事の目的は、国民が進歩できるようにするためにあります。未開で野蛮な世の住民は、勇猛に暴れるものであり、大人しくすることを知りません。その場合の政府の職務は、国民を従わせることにあります。現在、我が国はすでに未開ではありませんが、国民の従順さはすっかり度を越しています。

政府が目的とするべきことは、民撰議院を開設し、国民に果敢な行動を起こす心を持たせ、天下を分任する義務を認識させ、天下のことに参加できるようにすることにあります。我が国民の心を一つにするのです

そもそも、政府を強くするためには、何によってでしょうか。それは、天下の人がみな心を一つにするからです。私たちは、決して遠い昔のことを挙げて論証するのではなく、ひとまず昨年の征韓論争に端を発した政変を通じて見てみましょう。これは本当に危険極まりないことでした。政府が孤立した理由はどこにあったのでしょうか。

また、この政変について、喜んだり、憂いたりしたりするどころか、ぼうっとしてこの問題を知らなかった国民は、全体の八割、九割はおり、彼らはただ、軍隊が解散されたことに驚いただけでした。

今、国民の代表からなる民撰議院を開設し、政府と国民の間で心が通じ合い、そうして一体となってこそ、はじめて国家と政府は強くなるのです

以上、私たちは天下の大理について調べつくし、我が国の現在の情勢について実情を述べ、政府の職務について論じ、そして、征韓論争に端を発した政変について振り返ってきました。これにより、私たちは、いよいよ自説の正しさを確信しています。

天下を維持・発展させるための手段は、民撰議院を開設して天下の公議を行うことにしかないということを、私たちは切に訴えます。その為の具体的な手段について、私たちは決してここでは述べません。十数枚の提言書では、とても書きつくせるものではないからです。

ただし、私たちはひそかに聞いた話では、最近の官僚は、慎重論にかこつけて、多くのことを旧態依然のままにし、世の中の改革を主張する人間を、「軽々進歩」と呼び、その意見を「尚早」の二文字で拒絶します。このことについても論じさせてください。

そもそも、「軽々進歩」と呼ぶことは私たちには理解できず、にわかに物事が出現してしまうことを軽々に進んだと言うならば、むしろ民撰議院は物事を丁重に扱う仕組みであると言えます。

また、各省庁間の調整が不調で調整し直す際に、物事の本質や緩急を失って、お互いの施策を相手にしないことを「軽々進歩」と言うのなら、それは国家に憲法がなく官僚が意に任せて勝手なことをしていることに原因があります。

以上の二例があれば、まさしく民撰議院を開設しなければならない理由が証明されたことは明らかです。そもそも、進歩とは天下で最も素晴らしいものであって、全ての物事は進歩しなければ存在すべきでありません。そうであれば、とりもなおさず官僚は、決して「進歩」の二文字を罪とすることはできません。批判することがあれば、必ず「軽々」の二文字で止まるでしょう。ですが、「軽々」の二文字は民撰議院と無縁です。

「尚早」の二文字を、民撰議院に当てはめることについて、私たちは理解できないだけでなく、強く反対します。なぜならば、民撰議院を開設したとしても、おそらく長い年月の後に、はじめて十分に完全なものになるからです。だからこそ、私たちは一日でも開設が遅れることを危惧し、尚早論にただ反対するのみです。

また、官僚は次のように説明します。「欧米各国の議院は一朝一夕に設立されたものではなく、徐々に進歩してきたことで達成したのだから、我々がにわかに模倣することはできないのだ」と。

しかし、徐々に進歩するのがどうして議会だけなのでしょうか、学問、技術、機械、みな同じように徐々に進歩してきました。ですが、欧米諸国が数百年の長きにわたって積み上げて議院を開設したのは、それ以前に成文規則がなく、みな自分の手によって経験し編み出したからです。今の私たちが、その成文規則から選び出して採用すれば、どうして欧米諸国のように議院を開設することができないのでしょうか。

もし、「私たちが蒸気機関の仕組みを自分で発明するのを待ってからでないと、蒸気機関を使えない」であるとか、「電気の仕組みを自分で発明するのを待ってからでないと、電信を使えない」などと言うのでしたら、政府は本来何も手を下すべきではないのです。

以上、私たちが、民撰議院を開設しなければならない理由、そして日本人の進歩の度合いが議院を設置するに十分に値することを論じてきたのは、官僚の反論を封じ込めるためではありません。

議院を設置し、天下の公論を発展させ、国民の正当な権利を確立し、天下の元気を鼓舞し、そのことにより上下が親しみ近づき、君臣が相愛し、帝国を維持して奮起させ、幸福と安全を守ることを願ってのことです。この提言を幸いにして採択していただけることを願っています。

――自由民権塾訳(第二版)

いかがだったでしょうか?

私は、初めて読んだとき、140年以上前の文章にもかかわらず、現代にも通じることが多く衝撃を受けたものです。政治権力が官僚に集中していることは全く変わっていませんね。

もちろん、現代は当時よりも制度としてはだいぶ整備されていると思いますが、議会設立の目的であったはずの「天下の公議を発展させること」や「官僚の権限を制限すること」は随分と疎かになっているのではと思ってしまいます(「天下の公儀」は、今風に言えば「社会的にオープンな議論」という意味合いで捉えています)。

先日の東京都知事選挙でも都議会のブラックボックスぶりが話題になりましたが、地方政治は特にひどい状況だと思います。

少し長くなってしまったので、続きは次回。

このテーマは前・後編で終えて、ゆるい話題のブログを書くつもりでしたが、まだ書き足らずあと2,3回分は書こうと思いますので、もう少しお付き合いいただけると嬉しいです^^