ユースデモクラシーって何だ?【前編】

23歳で選挙業界に足を踏み入れてから5年目の昨年、この国の政治に欠けているのはユースデモクラシーの精神ではないかと思い、ユースデモクラシーを推進する活動を始めました。

その後、参議院議員選挙、東京都知事選挙という大きな選挙が2回あり、それは確信に変わりつつあります。

ユースデモクラシー

表層的な語意では、高齢者の意見が過剰に政治に反映される「シルバーデモクラシー」の反対で、「若者重視の政治」という意味合いで受け取られると思うのですが、私はもう少し踏み込んだ解釈をしています。

単純に「シルバーデモクラシー」の反意語とすると、アウトプットが「若者に対する支援施策や財政支出の増額」になりかねないのですが、これだと他者(政府)に依存した「シルバーデモクラシー脳」のまま、対象者を変更しただけに過ぎず、持続可能性はありません。

若者たちもいずれ歳を取りますし、何より少子高齢化社会における老人との綱引きでは若者が勝てるわけがなく、世代間闘争が行き着く先は厭世感と憎悪が渦巻く社会でしょう。

思うに、「ユースデモクラシー」の本質は、将来世代が希望を持てる世の中かどうか若者を含めた多世代がデモクラシー(民主政)を活用して社会をより良くしようと思える状態かどうか、という点にあって、「生物としての若者」と同じように、デモクラシーに活力があるかどうかということだと思います。

「生物としての老人」がみんながみんな活力が無いと言うわけではありませんが、老化現象によってあらゆる身体的機能が衰えてしまうことは自然の摂理です。

同様に、政治も「老化」してしまうものだと私は考えます。

「視力」が衰えると、未来を見通すことができず、近視眼的な対応に終始するでしょう。

「聴力」が衰えると、マイノリティや声なき声を聴き取ることができず、多数派の声がする方向のみに向かうでしょう。

「思考力」が衰えると、データや数字に基づく合理的な判断をすることができず、感情的な考えに偏った行動をしてしまうでしょう。

そして、「記憶力」が衰えると、私たちがなぜ「デモクラシー」を採用したのかすらも忘れてしまうことになります。

いや、この点については、ほとんど全ての人が忘れてしまっていると思いますし、私自身、この活動を始めなければ思い出すことは無かったと思います。

私たちはなぜ「デモクラシー」を採用したのでしょうか?
なぜ日本には国会や地方議会があるのでしょうか?

次回は、日本における「デモクラシー」の原点である、「自由民権運動」について思いを馳せたいと思います。

まずは、「記憶力」を鍛えることによって、政治のアンチエイジングを試みたいと思います。

それでは、今日はこの辺で。つづく。